「炭を焼く」ことは、極めて古いようです。古代エジプト人が屍体の保存に木タールを用いたことは、ローマの博物学者プリニウムが、その著書に載せています。木タールは、テオフラスツというマセドニア人が、木タールの製造を行ったと彼の著書に記載してあります。 「炭を焼く」という木材炭化は、人類が火を使用し始めた太古から、同時に燃焼に随伴して自然に行われた化学的現象と考えられます。
もっと詳しくいいますと木材乾留の結果、生産されるものは、木炭、木酢、木タール、木油の四つです。煙は、木酢、木タール、木油の3種から形成されます。 世界中の人が食べている燻製食品 ソーセージ、ハム、ベーコン、スモークサーモン、ウナギの蒲焼、かつお節など、すべて煙を利用した燻製食品です。 燻製法が食品加工法の一つとして利用されたのは、比較的新しいようです。 食品貯蔵法の一つとして、燻製法が行われたのはヨーロッパで15世紀ごろです。その起源は1430年頃イギリスのヤーマウス地方の漁夫ビショップが鰊の燻製品を発明して同地方の名産物となり、これを工業化したのがはじまりです。 日本のかつお節は立派な燻製食品 燻製食品はヨーロッパのものと日本人は思うかもしれません。とんでもない。日本人だけが調味料として用い、日本料理の味の根源をつくっているかつお節は、日本人の発明した世界に冠たる燻製食品です。 1674年、紀州(和歌山県)生まれの甚太郎が燻製法を利用して、かつお節を工業的に生産した。甚太郎の大発明です。 土佐の与市は、この燻製法(焙乾法)をさらに改良して、日本各地を渡り歩き、与市の(改良燻製法焙乾法)を普及し、土佐節、安房(あわ)節、伊豆節が各地に生まれ、今日に至っていますが、与市は『秘伝を他国に漏らした』という重い罪で、故郷、和歌山県から追われ、帰国を許されずに望郷の想いをつのらせつつ、千葉県の千倉で放浪の身のまま、58歳でその悲運の生涯を終えています。
この液体燻製法は昭和17年(1942年)に、故 岩垂荘二(萬有栄養創立者)が開発しました。ホッケの燻製をつくり、その後、鯨ベーコンや魚肉ソーセージの製造にも燻液を採用、その利用範囲を拡大してきました。 「液体燻製法(燻液による製法)」は、彼が命名し、昭和20年12月、蒸留(沸点の違いを利用し目的物を得る製法)木酢の発売に際して、これを「燻液」と名づけました。
17年当時第七陸軍航空技術研究所で、彼は航空栄養の研究をしていました。その研究仲間に、航空燃料の研究をしている友人がいて、松根油が航空燃料のオクタン価を高めるのに役立つが、その副産物として松根木酢が多量に出て、始末に困っているという。戦時中のことで物資が欠乏し、とくに食塩が不足、魚の塩乾物をつくるのに苦慮していたことから、木酢に含まれる防腐成分を利用することを思い立ったのです。 終戦後、アメリカは、日本人の食糧事情の悪化を打開するために蛋白源として鯨を捕ることを許可し、鯨肉の消費が増え、鯨の腹皮が大量に出ました。これに液体燻製法を適用して、鯨ベーコンをつくり、人々の蛋白不足や栄養失調から救うことに貢献できたのです。 また、28年ころには、精製木酢を直接、香料として魚肉の中に入れて、そのハム・ソーセージをつくり、風味のよい製品が得られました。
以後、さらに開発を進め、かつお節やスモークサーモン、スモークタマゴなどにも応用されるようになりました。